フォトハウス京都の履歴書-5-

<先立つモデルはバウハウス>
1982年頃から、新しい学校の枠組みが必要だと思うようになってきたのは、東松照明さんと対話を重ねていくなかでした。次第に明確になってきた構想の原点を、ぼくは1975にはじまる東京でのワークショップ写真学校に想定していきました。でも、それは写真のムーブメントであって、もっと広範囲な領域から構想するのがよい、との話になってきました。では、何をバックボーンにするか、としたときにドイツ、ワイマールに設立された「バウハウス」が立ち現れてきたのでした。1980年代当時、バウハウスのことが結構話題になっていて、翻訳書なども出ていました。フォトハウスという名称は、バウハウスに似ているわけで、それを想定していくことで、わかりやすい。そのようにも思っていたと思いだされます。

趣意書等を発送して、京都新聞にも構想を紹介され、ミーティングを持ったところ十名ほどの方が集まってこられました。趣旨を説明していきました。集まってこられた方たちの意見を集約すると、すでにフォトハウスという器ができていて、あとはワークショップをするだけだ、と解釈されていました。実際には、形のないところからの構築で、その創生に参加しませんかという呼びかけだったのですが。何回目かのミーティングには、出席者がなく、これで終わりだ、というときに現れてこられたのが里博文さんでした。ワークショップをやろうと言ってくれたのが彼でした。すでに開催場所については、静原の鈴鹿さんが自宅を提供してもよいとの意向をもらっていました。事務局にはオリジナルプリントの専門ギャラリーとして開店していた「ギャラリー・DOT」が担うことに決まりました。こうして最初の写真ワークショップが開催されたのは1985年8月のことでした。

1980年代当時、写真を制作するなかで、オリジナルプリントの考え方が、アメリカから輸入されてきていました。写真を扱う専門ギャラリーが東京に誕生し、京都に誕生してきたところでもありました。オリジナルプリントとは、技術的側面から、そのプリントの処理法などが模索され、一定の処理法がオーソライズされてきたころでした。日本においても、その必要性があると、一部の関係者には思われていたところでした。その時代の写真処理の最前線、といえばいいかもしれません。アンセルアダムスが考案したという「ゾーンシステム」を使って、永久保存のための「アーカイバル処理法」などの一般公開ワークショップを開催しようとの話になりました。英国で写真法を学んでこられた里博文さんの発案で、その方法を講座化することから始まったのでした。

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フォトハウス京都の履歴書-4-

<設立趣意書>
1984年11月15日付で設立の案内を関係方面へ郵送します。名称は「写真舎<PHOTO HUSE>」設立準備会で、その代表は中川繁夫の記名です。案内の内容は、設立趣意書の「送付文」と「現在日本の写真状況における当面の課題」と題した文書です。ここに書き写しておきます。

「送付書」
 この度、かねてより企画中でありました、写真舎「フォトハウス」を設立する運びとなりました。つきましては、設立趣意書ならびに当面行っていく事業内容、および達成すべき課題と組織編成図をここに明らかにし、より感性されたものとしていくために、皆様方のご意見とご指導を仰ぐ次第です。
 追って、より具体的な事項、たとえば総務事務局の構成についてや、運営委員会等を構築していくための集まりのご案内を差し上げようと思っていますので、その節には皆様方にお集まりいただいて、具体的な事業の内容を細部にわたって決めて行きたいと考えています。
「現在日本の写真状況における当面の課題」
 いま、日本の現状において、写真と写真家が置かれている現場は、ますます多様化する価値観のなかで、様々な問題をはらんでいるようにも見うけられます。写真と写真家をめぐる諸問題は、たとえば現在の多様化した写真表現をどのような視座からとらえていくか。また写真家として表現された写真をどのように解読していけばよいのか。そして写真家は、現在、いったい何をどのように撮ればいいのか。
 80年代半ば、すべての価値観が拡散してしまったかのように見えるいま、写真家たろうとする写真家は、これらの問題を考えていく土壌を創り出すことから始めていかなければならない。
 これら個々の問題については、ことあるごとに、何時においても語り論じられてきたところだ。しかし、これらがひとつのパワーとして結実するには至ってはいない。
 現在、日毎、写真は数多く発表されている。しかし、これら発表される一つひとつの写真についての具体的な評価や、より写真表現としての、優れた展開のための方法といった批評は、おおむね表面立って現れてはこなかったように見受けられる。
 「いま、写真とは何なのか」という問題提起の場が、総合的な視座、あるいは歴史的な視座から見て、欠落していたように思われる。
 いま、巷にあふれる写真の群たちの一つひとつに、どのような評価を与え、それらの写真群を、何処へ持って行こうとしているのか。これが、当面の私たちが背負った、問題解決への論拠となる出発点であろう。
 いま、写真舎「フォトハウス」の設立の意義は、次の世代へ向けての写真と写真家がいかにあるべきかと、そのあり様を問う現場として、写真を考える人々の意識ある結集のもとに、写真における新しい価値概念を創出していくことにある。
 ここに、現在の写真と写真家がかかえている諸問題へ、ダイレクトに価値と論拠を与えていける場として機能していけることを、写真舎「フォトハウス」設立の趣意とする。1984.11.1

この文書と一緒に郵送され、公表された案内があります組織図案で、翌年1985年1月に、呼びかけに集まられた人達、十名ほどいらしたかと記憶していますが、京都府庁前の「まつもと設計事務所」にて会合をもつことになります。(以下、続きます)

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