2017年08月14日

フォトハウス日記-3-

120siryo0502040025.JPG
 フォトハウスの構想を練っていく過程で、あの東松照明さんがいらっしゃらなかったら、その構想じたいが生まれなかったと考えていいと思っています。ちょうど1980年代の初めごろから数年間、東松さんの京都取材があって、京都へ来られるたびにお会いすることがでした。東松さんのほうから、来たよ、と電話連絡があり、常宿にされていた北白川界隈で食事兼酒飲みをして、宿へいったり、そのまま別れたり、いつも何かしら議論らしいことをしていた記憶です。フォトハウスは理想を図式にした案で、全体をすぐに実現できるというものではなく、できる処から実現させればいいと思ったものです。お金のこと、つまり経済機構のなかでは結ばない、金儲けの手段ではない、そういうムーブメントを背景に構想されたものでした。

 その当時にはもう頭の毛が少なくなっていた彼は、ヒゲを生やしていたけれど、ふつうのやさしそうなおじさん、ってな感じで、ええ、そばにいっしょにいて、高貴な人というイメージではありませんでした。彼の人がらに、慣れるにしたがって、かなり心の奥深いところにまで、平常感覚とか幸不幸感とか、そこまでくみ取れるようになっていったと思えます。理想をかかげ、理想をひろげ、理想を実現していくプロセスを手に入れる。京都という地域は、日本文化を形成するイメージの集積ではないか、集積されているのではないか。その中心は天皇制という概念でくくられることの中身そのもの。それを写真という静止画で、連らねていけないか、というのが命題でした。彼が撮り終えてほぼ十年間、考えあぐねてまとめきれなかった写真群が京都で撮られた一連だと考えますが、ぼくには幾多の示唆をいただいたテーマだと思っています。

 フォトハウスの構想は図式でしかありません。いま、フォトハウス表現研究所を図式し、フォトハウス表現塾を構想しているところです。決して表面的な捉え方ではなくて、生きることの根底、生活のための食べ物、セックス、地縁関係、血縁関係、様々な全体を、仰げば降り注ぐ希望の光として、感じられる生き方、捉え方でしょうかね。いやはや、宗教ではありません、といいながら、これは芸術だ、ということも言えない。時代としては情報ネットワークの時代で、インターネットがなかった時代とは違う環境でしょう。言葉が持つ価値観を見直すべきことが必要なのではないか。言葉のもつ意味を、それぞれ自分の中で定義し、イメージしていかないといけないのでは。これは何時の時代にも言えることかもしれなくて、拠って起つ位置を自覚せよ、だと思います。

posted by nakagawa at 10:27| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする