フォトハウス京都の履歴書-2-

その頃、1980年から中川は「映像情報」という季刊誌を発行していました。
と同時に「季刊釜ヶ崎」という本の発行主体となっていました。
この二冊を、発行の都度、方々へ郵送していたなかに、東松照明さんの名前がありました。
最初に、東松さんと京都で会ったのは1982年の正月です。
東松さんから電話があり、会えないかということです。
夜の九時、河原町三条の六曜社でお会いすることになりました。
革ジャンを羽織った髭のおじさん、東松さんの姿はすぐにわかりました。
こっちこっちといった風に、笑みをうかべて手招きされ、向き合いました。
これが出会いの最初でしたが、その後、頻繁にお会いすることになります。
「東松照明の世界展いま!」の大阪実行委員会が前年12月に発足していました。
中川がそのメンバーに入っていたことをご存じだったからのアポだったのかもしれません。
年末から京都に来ている、京都を写真に撮る予定だ、という話を聞いて、驚いた。
東松さんと会って、食事をしながら、議論というより教えてもらう会話が、その都度ありました。
主には、写真の置かれた状況を、分析する、といった内容だったと思います。
写真をめぐる論、とでもいえばいいか、写真を軸に芸術や文学への多方面に渡る対話です。
東松照明さんの想いとか考え方とか、それを伝えられ、意見を交換する、個人対話です。
当時カメラ毎日の編集長だった西井一夫さんのことの話題が、ままありました。
西井はこういうこと言っているが、中川さんはどう思う、といった話題です。
1982年1月から1985年、東松照明さんが心臓バイパス手術の直前まで、お会いしました。

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