2017年01月24日

フォトハウス京都の履歴書-5-

<先立つモデルはバウハウス>
1982年頃から、新しい学校の枠組みが必要だと思うようになってきたのは、東松照明さんと対話を重ねていくなかでした。次第に明確になってきた構想の原点を、ぼくは1975にはじまる東京でのワークショップ写真学校に想定していきました。でも、それは写真のムーブメントであって、もっと広範囲な領域から構想するのがよい、との話になってきました。では、何をバックボーンにするか、としたときにドイツ、ワイマールに設立された「バウハウス」が立ち現れてきたのでした。1980年代当時、バウハウスのことが結構話題になっていて、翻訳書なども出ていました。フォトハウスという名称は、バウハウスに似ているわけで、それを想定していくことで、わかりやすい。そのようにも思っていたと思いだされます。

趣意書等を発送して、京都新聞にも構想を紹介され、ミーティングを持ったところ十名ほどの方が集まってこられました。趣旨を説明していきました。集まってこられた方たちの意見を集約すると、すでにフォトハウスという器ができていて、あとはワークショップをするだけだ、と解釈されていました。実際には、形のないところからの構築で、その創生に参加しませんかという呼びかけだったのですが。何回目かのミーティングには、出席者がなく、これで終わりだ、というときに現れてこられたのが里博文さんでした。ワークショップをやろうと言ってくれたのが彼でした。すでに開催場所については、静原の鈴鹿さんが自宅を提供してもよいとの意向をもらっていました。事務局にはオリジナルプリントの専門ギャラリーとして開店していた「ギャラリー・DOT」が担うことに決まりました。こうして最初の写真ワークショップが開催されたのは1985年8月のことでした。

1980年代当時、写真を制作するなかで、オリジナルプリントの考え方が、アメリカから輸入されてきていました。写真を扱う専門ギャラリーが東京に誕生し、京都に誕生してきたところでもありました。オリジナルプリントとは、技術的側面から、そのプリントの処理法などが模索され、一定の処理法がオーソライズされてきたころでした。日本においても、その必要性があると、一部の関係者には思われていたところでした。その時代の写真処理の最前線、といえばいいかもしれません。アンセルアダムスが考案したという「ゾーンシステム」を使って、永久保存のための「アーカイバル処理法」などの一般公開ワークショップを開催しようとの話になりました。英国で写真法を学んでこられた里博文さんの発案で、その方法を講座化することから始まったのでした。

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posted by nakagawa at 17:14| Comment(0) | フォトハウス京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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