2017年04月03日

フォトハウスの歴史-5-

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 <通年制写真講座の開発>
 1988年10月には具体的に「フォトハウス資料室」を開設しますが、1985年には、フォトハウスワークショップとして培った写真講座を、通年のプログラムとして実行しようと生徒募集を行っています。その案内から転載します。
<フォトハウスは今までに起こった写真についての運動を総括した中から成立してきました。フォトハウスは、今までに在り、なおかる現在もって存在する学校形式および団体がおこなってきた写真に対する制作態度の細部にわたる反省から成立しています。フォトハウスは、それ自体で世界に完結する機関として存在しているところですが、ここにこの理念を受け継ぐべきより多くの人材輩出に向けて、フォトワークショップを開講するところです。また、現在および将来、日本の写真界を中軸となって担っていく人材の輩出を目的とします。また、現在および将来、世界へ飛び立っていくことを目指す人はここに集い、共に学びあい、たえざる学習を通じて自立していきたいと考えます。フォトワークショップでは、将来、専門家として自立していけるに必要な技術と理論を学びます。俗にある教養講座ではありません。皆さんの積極的な応募を待っています。>

 さて、オリジナルプリント制作の技術ノウハウと、どのような写真を撮るかというコンセプトを生み出すワークショップを企画します。技術ノウハウは三段階のステップアップ。基礎編、実践編、応用編、このステップアップを通年のプログラムとします。コンセプトを紡ぎ出す制作ノウハウも三段階ステップアップ。自分のテーマをみつける、展開する、作品集にまとめる、これをワークショップ形式で月に一回ペースで実施していく、というものでした。すでに二泊三日の日程でゾーンシステム講座を開講しており、写真基礎講座、写真史講座、ものつくりのためのエンカウンター講座、とすべて宿泊を伴ったワークショップです。これらの講座を通年のカリキュラムとして実施する計画でした。
 フォトワークショップの受講規定が残っているので転載します。
<資格:性別、年齢、そのほかの制限は一切ありません。手続き:所定の受講申込書を事務局に郵送してもらう。所定の受講料、このときは年間5万円。定員を越える応募があったときは、選考のうえ決定します。期間:一年を前期と後期に分け、開講日は別記に定めます。定員:総数10名、5名のグループ単位で学習します。>

 掲載した写真、お二人、左が平木収さん、右がアスタルテ書房の佐々木さん。お二人とも、もう物故者となられているところですが、第一次フォトハウスの立ち上げのころには、たいへんお世話になった方です。平木さんにおいては、フォトハウスに成熟する前から、懇意にしていただいて、東京とつないでもらっていました。平木さんは京都の淀が出身なので、京都人としても手厚く扱ってもらえた。また東松さんが中を取り持ってくれたのではないか、とも思っています。フォトハウス、ミーティングルーム&資料室オープンの時に参加してくれた人でした。またアスタルテ書房の佐々木さんにおいては、古物商の肩書でオークションなどで写真集を集めていただきました。もちろんお金はこちらが用意しているんですが、あれこれ壱千万円ほどを費やしたように思えます。資料室に蔵書の写真集などは、メディアショップでも、よく買っていました。さまざまなことが、第一次のフォトハウスが終わってからも、縁が続いていきました。追ってまた平木さん、アスタルテ佐々木さん、メディアショップ、思い出を書きたいと思っています。




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2017年04月01日

フォトハウスの歴史-4-

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<ミーティングルームの開設>
 1988年には、主宰者の自宅を改築し、フォトハウスミーティングルームを開設することになります。すでにテクニカルルームとして、大原の鈴木さん居住のスペースを暗室ができる場所として、設定していたところでした。事務局をギャラリー・DOTに置いていて、実質、ワークショップを構成する場所のネットワークが組めたところでした。テクニカルルームでは、二泊三日のゾーンシステムワークショップが開講され、ミーティングルームでは、受講者の宿泊を受け持ちました。ミーティングルームを使ったワークショップは、1988年11月、金子隆一さん講師の「現代写真史」を一泊二日のプログラムで組み上げました。引き続き島尾伸三さん講師の「写真の基礎」を一泊二日のプログラムで実施しました。里博文さんインストラクターの「エンカウンターグループ」のワークショップも開催されました。

 このミーティングルームは、10名程度までの宿泊を伴ったワークショップが開催できるスペースとして用意され、翌年1989年には「フォトハウス資料室」として機能していくことになります。フォトハウス資料室に収蔵されていた写真集等三千点が閲覧できる図書館機能をもった場でした。個人が公開で、宿泊を含め、写真集等が見られる場として、日本では最初のスペースではなかったかと思っています。

 <フォトハウス資料室の概要>
 京都・紫野に置かれたフォトハウス資料室の概要を記しておきます。開設は1988年10月です。ここに掲載の写真は、資料室オープニングのパーティー時の写真、参加者の一部です。スペース面積は56平米、資料ルームは14平米、ミーティングルーム10平米、宿泊ルーム14平米、会食ルーム18平米です。資料の閲覧は無料です。遠方からの閲覧者には宿泊もできるようにしておりました。ファクスとパソコン、コピー機を設備としておきました。
 フォトハウス資料室は、①写真理論全般の基礎研究の場として機能していきます。②写真理論の体系「写真学」構築のためのカリキュラムを試行していきます。③フォトハウス資料室においては、写真とその周辺研究のための様々な資料を整備します。④収集された資料は公開閲覧します。⑤写真学の概念に基づき講座を設定します。その他。
 <資料収集の内容>
 ①内外で発行された写真集や評論集などの収録。②内外写真雑誌および雑誌から抜粋した資料の収録。③展覧会案内などの印刷物による資料の収録。④写真周辺の情報についての資料収集と保存。その他。
 <講座、研究会の開催>
 フォトハウス資料室に講座を設けます。少人数での研究講座と将来への展望を考えます。そのための設備として宿泊設備をもったスペースとして機能させます。フォトハウスの構造概念として、それぞれの機関が有機的にネットワークを組んで、写真全体の底上げといったものを想定しています。場を分散させることによって、それぞれの場が、それぞれに独立した機能を持ったなかで運営されていくことが望まれています。
(以上1988年10月に発出された文書に拠ります)





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2017年03月28日

フォトハウスの歴史-3-

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<講座の開講>3
 1986年にフォトハウスワークショップとしてゾーンシステム基礎編・実践編・応用編を開講し、オリジナルプリント制作プロセス、ポートフォリオ制作プロセスの講座を実施しました。当時、これらの一連の講座は、一般公開では、開講された最初の講座であったことでした。この講座カリキュラムになるまでには、大学のなかで、ギャラリーのなかで、実験されてきたことでした。具体的には日大の写真学科のなかで研究がすすめられていて、またギャラリーOWLでは1981年にワークショップがおこなわれたと記録されています。そういう前提があって、時代としてはオリジナルプリントという概念が定着しはじめた頃でした。むしろオリジナルプリント概念を定着させるためのワークショップがフォトハウスによって行われた、といえるのかも知れません。後、1987年にクリエイター・フォト3026の企画制作によるファインプリントの手引きにまとめられる内容のもの、1987年以降、京都造形芸術大学の公開カリキュラムとして実施される写真講座、川崎市民ミュージアムの開館にともなう暗室ワークショップの原点、などが成果としてあげられると考えています。

 1987年には、フォトハウスワークショップは、事情により京都静原を離れ、開講場所を変えます。ゾーンシステム講座は、宿泊なしの二日間、1987年9月13日と9月20日、学校法人芦屋芸術学院(芦屋市)の暗室設備をお借りして開講しています。募集要項をみると、受講料は2回で16000円、定員は12名、時間は午前九時から午後六時まで。講師には里博文さん、サポーターには鈴木俊宏さん、世話役は中川繁夫があたりました。1987年10月3日から4日、一泊宿泊でエンカウンターグループのワークショップを開講します。里博文さんがコーチでした。開講場所はYMCA六甲研修センター、経費は一泊二日食事つきで25000円でした。掲載の写真はこの時のものです。1987年11月には、京都大原において、鈴木さんの居宅を「フォトハウス技術研究室」と名称していただいて、ゾーンシステム講座の補講をおこなっています。

 当時の公開文章のなかから抜粋で、ここに少し転載します。
今後も開設講座の設定にあたっては、当面は基本部分での技術習得と基礎概念の体得を中心に据えていかなければならないだろうと考えています。このなかからダイナミックなムーブメントを作り出してしければよいと考えます。すでに構築されてしまっている既成のの枠組みを克服し、新しい枠組みへ脱却していくために必要な手段であろうと考えるのです。このことなしには、すでに積み上げられた形式(制度)の上で活動しても、すでに構築されたところの制約から解放されないのではないか、と想定されるからです。我々がどこまで裸眼でいられるか。我々が既成の枠組みから解放され、既成の枠組み内において確定している価値のうえに安住することなく、プリミティブな精神を得られるかどうかです。
(続く)

posted by nakagawa at 10:31| 京都 ☀| Comment(0) | フォトハウス歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月25日

フォトハウスの歴史-2-

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<講座の開講>2
 1985年9月から一泊二日の日程で「ゾーンシステム講座」を開講しています。基礎編(9/15~9/16)、実践編(10/12~10/13)、応用編(11/9~11/10)と三ステップのカリキュラムを開発して、開講しています。講師には里博文さん、サポーターには中川繁夫がつきました。各々一泊二日の日程で食事三食込みです。ほとんど徹夜状態。講座開講中の熱気は参加した人だけが共有した財産でした。芸術を生み出す根底は、ここで体験されるような熱意なのかも知れません。企画の段階から、講座の開始、開講中の世話、等々、多くの人の協力があって成立しました。遠くは広島や下関からの参加者があり、延べ40人以上の人が通過しました。ほとんど無報酬、というより持ち出しのなかで、スタッフが講座を支えていきました。

 1986年には「ゾーンシステム講座」基礎編、実践編、応用編を一泊二日のコースで開講しています。その講座を終えて、次のステップ講座として「調色とアーカイバルプリントの制作」を9月13日~14日に開講。「ポートフォリオの制作とその周辺」を10月11日~12日に開講しています。調色関連には、高橋則英さん、ポートフォリオ制作には、山崎信さんが講師を努められました。いずれも最初の一般公開講座でした。また、調色とアーカイバル処理の講座では、「現代写真の動向」というタイトルで、平木収さんと島尾伸三さんが講師役を努められ、ポートフォリオ制作の講座では、「写真史」のタイトルで、金子隆一さんと飯沢耕太郎さんが講師役を努められました。

 フォトハウスワークショップは、京都にて写真家、美術家、批評家、教育者などが集まり、小人数を対象に開講した塾形式の専門家育成機関として創出された仕組みです。具体的なプログラムは、写真と写真に関連した現代芸術のための創造的理論と技術教育を主旨とし、写真をめぐる歴史研究、現代思潮の研究や、作品の制作です。ここでは複製芸術の環境をまるごと研究開発するための作家育成教育を目的としたもので、今後の写真および現代芸術教育の基盤を形成していこうとするものでした。ちなみにフォトハウス事務局は、京都は下鴨にあるオリジナルプリントを専門に扱う「ギャラリー・DOT」に置いていました。京都静原の鈴鹿宅においてワークショップを実施したのは、この1985年と1986年のところまでで、1987年からは開講場所を変えての運営となります。
(続く)


posted by nakagawa at 16:53| 京都 ☁| Comment(0) | フォトハウス歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月24日

フォトハウスの歴史-1-

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<講座の開講>1
 フォトハウスの全体的な構想は、1984年11月までにその概略が明確にされていましたが、その趣旨に沿って京都において設立準備会が発足しました。その後、ミーティングなどの場で1985年6月には当初からの目的のひとつであり、構想の基幹部分であった研究講座が準備され、「フォトハウスワークショップ京都」の名称で講座を開講します。講座の名称は「ゾーンシステム講座」一泊二日のカリキュラムです。講師には英国でゾーンシステムを習得された写真家里博文さんが担当されることになりました。また開講場所は京都「静原」にある美術家鈴鹿芳康さんの自宅を格安で借りることが決まりました。

 第一回目の「ゾーンシステム講座」は、1985年6月1日~2日、一泊二日、経費8千円で開講。第二回目の講座は、米国在住で京都へ来られていたベティハーンさんで「ブループリント・ガムプリント講座」でした。ゾーンシステム講座には10名の受講参加者があり、ブループリント・ガムプリント講座には21名の参加者がありました。これらの講座に参加されたメンバーの大半は、すでに写真や版画や染色などのジャンルで活動されているメンバーでした。

 1985年当時の記録が手元にあります。そこではこのように記しているので参考に再録します。
「フォトハウスのあるべき姿として、その外様および内容は常に新しい芸術活動をめざす人々によって担われなければならないと考えています。あらゆる階層から、あらゆるジャンルから、あらゆる手段をもって、自立した個人の資格によって参加され、より高度で充実した制作態度を持って、新たな価値の創造をもくろんでいける形態を、究極の理想とします。そこでは、芸術の現代的なありようを探っていくための関係を、また優れた作品を世に輩出していくための個人の自立、といっやことなどを考えていける最前線の場として機能していかなければならないだろうと想定しています。」
(続く)
posted by nakagawa at 15:55| 京都 ☁| Comment(0) | フォトハウス歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする