2017年10月30日

体験的写真史-1-

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フォトハウス表現研究所のホームページ
体験的写真史-1-
<1970年代の半ばごろ>
 文学を思考していたころ、写真を撮っている友だちを見ていて「なにをお遊びなことをやってるんだ」と思ったことを思い出します。たぶん「反鎮魂」という文学同人誌を発行していたころだから1972年でしょうか。文学、小説を書こうとしていたときで、社会とリンクする行為は、文学こそ本命だと思っていて、芸術と呼ぶ絵画や音楽は無縁だと思っていたし、写真なんぞは、論外で、報道カメラマンなら職業としてあることは知っていたけれど、写真を撮って楽しむなんてことは、プチブルの行為以外のなにものでもなかった、なんて思っていたところでした。そういうことでいえば、現在の社会的位置づけとして、ぼくは全共闘世代で、団塊世代のとっかかり世代に分類されているようです。

 まだ文学部の学生身分を持っていたから妻子ある学生ということになりますが、1970年の安保闘争が終わり、自分の気持ちも、世の中の雰囲気も、すっかり中産階級的なと思われる心情を抱いていくことになりました。子供が生まれ、核家族を形成し、お勤めをするサラリーマン。ぼくの場合は、うまい具合に国家公務員として現業の郵便局に勤めの口を見つけ、それなりに生活が成っていきます。それ以前のことは、ここでは不問にして、カメラを購入するところから話しを始めないといけないです。大学は二部だったので家庭もちの学生でしたが、入学から七年かけて卒業して、その学費が要らなくなったこともあって、カメラを購入することになりました。ニコマート、一眼レフカメラで、それを手にして撮ったのはまだ幼い自分の子、でした。ネガカラーで撮っておりました。

 妻の実家が金沢で、夏には子供を連れて帰省していました。ここに掲載の写真は、内灘へ海水浴に行ったときに撮ったフィルムで、モノクロだから、すでに写真に対しての想いが生成していたころです。このネガの半分以上は家族写真で、そのなかの数コマが、内灘の弾薬庫痕、この写真です。同人誌で小説を発表しますが、その冒頭の場面が、冬の内灘、弾薬庫痕のなかで吹雪から退避するという設定でしたから、親しみ深い被写体ではありましたが、家族ではない被写体の最初が、この写真でした。1975年の夏じゃなかったかと思われます。というのも同時に撮った写真には、子供が写っており、その年齢からみて、ほぼ特定できるところです。モノクロで撮るということは、コストが安い、ということに尽きるわけで、写真屋さんに勧められてネオパンSSSの期限が切れそうなのを安くで買ったから、モノクロフィルムを使ったわけです。当時はもう写真を撮るというとネガカラーの時代でした。

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2017年10月18日

表現塾のこと

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フォトハウス表現研究所のホームページ
 学びの場をつくるということを命題としたのは、1984年のフォトハウス設立にさかのぼります。その前後、もうお亡くなりになられた写真家の東松照明さんが、京都取材にこられていて、彼の取材のお供をさせていただいたのですが、約三年の間、様々に議論らしきものを交換するなかで「学ぶ」という基本原理を示されたと考えています。フォトハウスが学びの場であろうとしたことは、東松照明さんとのセッションによる結果でした。それから、幾度か山あり谷ありで現在に至っているところです。
 もともと文学系から出発したぼくには、写真表現ということと文学表現ということが混在しているようです。写真表現といったとき、絵画の系からくる発想というより、文学の系からくる発想の方が強かったように思えます。文学といっても、思想系では当時は実存主義とかに依存することがあったようにも思えますが、釜ヶ崎での「季刊釜ヶ崎」発刊なんか、じつに文学的発想であったように思います。「映像情報」も写真より文章が前面に出た個人情報誌だったし、かなり政治的な色彩を帯びていたとはいえ、考えられる限りのアート的枠組みを保持しようと思っていたところです。
 フォトハウスワークショップ、写真図書館の設立、写真学校の設立、写真を越えて広範囲にアートを捉えたインターメディア研究所、そういう経験をふまえて、なおかつ「学びの場」をつくるということに執着しているわけです。いよいよ表現塾、フォトハウス表現塾を立ち上げたところです。ただいまほぼ孤立無援状態ですが、写真だけを考えておられる環境では、やっぱり理解されないのかも知れないと思ってしまいます。ぼく自身は、写真から離れて、もっと広範囲なところからアートを論じる枠組みを考えているところです。総合文化研究所、むくむく通信社の枠組みが、基本となるべきではないかと、思うところです。

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2017年10月14日

フォトハウス表現塾が開塾します

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フォトハウス表現塾が開塾します。

2017年10月21日(土)
午後2時~午後5時
開塾場所は
兵庫県尼崎市
「アルナイル」 alnair
参加費1000円
研究テーマは「現代アートと写真の現在、その動向」です。

開塾は毎月第三土曜日、午後2時~5時を予定しています。
只今、表現塾の運営を担うメンバーも募集しています。
主宰は中川繁夫です pressnakagawa@yahoo.co.jp

https://www.facebook.com/sense.nakagawa
この記事をフェースブックに連動させているので応募は☝ここから。
内容詳細は、別途、記事にしています。
フォトハウス表現研究所HP
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2017年10月10日

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フォトハウス表現研究所のホームページ
 ※掲載した写真は金沢二俣本泉寺の奥にある蓮如廟です。
 ちなみに本泉寺は、蓮如が加賀入りするとき、ここ本泉寺の住職さんが大名に取り入った、という。ある種、由緒ある話で、このような文章を五木寛之さんの蓮如のなかに書かれてあったのを思い出します。吉崎御坊を訪問したことがあり、この10年ほどは、金沢へ行き来するたびに、その吉崎を通ります。まさか、これだけの因縁をもつなんて、思いもよらないことでした。とはいっても、ぼくの家は浄土真宗ではなくて、法華宗です。京都は小川寺之内上るにある本法寺が菩提寺で、ここは長谷川等伯が京都へ来た時の引き受け寺だったようです。本阿弥家の菩提寺なのか、光悦の墓があるのでしょうか。このように書き起こしていくと、ぼくのまわりは、けっこう宗教濃い環境があって、歴史そのもののうえに自分があるように思えてきます。


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2017年10月05日

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フォトハウス表現研究所のホームページ
長年、写真や文学やアートの領域に関わっているんですが、ぼくの行為の根本は、教育というか、学びあう、ということに尽きると考えています。学校の領域がメインテーマです。生産することも流通させることも、交流することも、学びの場なくしては成立しません。学ぶということは、国家が保障するということであり、国家に背いて学ぶということは、基本的に存在できません。その枠内でしかできないとしても、ありうべく理想を策定したり、実践のための技術を身につけるために学んだり、それは根本です。そのように思ってきて、考えてきて、フォトハウス設立1984年から、総合文化研究所設立2004年から、現在まで。この9月には新たな枠組みもふくみ、フォトハウス表現研究所を非法人ですが設立しています。フォトハウス表現塾は、表現研究所が所管する仕事の、学校、学び、の部門です。このことを肝に銘じて、次に進めていこうと思っているところです。ご支援のほど、お願いしたいと思うところです。


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2017年09月19日

日記170919

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フォトハウス表現研究所のホームページ
 もう最後の仕事になろうかと思っているところですが、フォトハウス表現研究所を、この9月1日付で設立しました。とはいっても法人格をもったわけではなく、実体はというとネット上にホームページを開設したというレベルです。自分史の中でいうと「フォトハウス」という名称を使いだしたのが1984年で、その後「フォトハウス京都」と改称して、形あるものとして「写真ワークショップ」の開催や「資料室の開設」などをおこなってきました。先駆的な動きを創ってきたと自負するところですが、その後の展開が個人的にできなくて、原形を提供する立場です。でも、これは、先駆的役割で、まだ見えにくい環境を創り出していくことだから、それなりに自分では評価しています。でもこれらは自己満足に過ぎなくて、二番煎じの組織がそれなりに名をはせていく結果となるわけです。

 2004年に「総合文化研究所」をネット上に創立し、情報発信の場として「むくむく通信社」をつくりました。テーマはグローバル化に対抗していく生活レベルの活動、とでも表現すればよろしいか、農作業などを推奨しています。農作業だけではなくて、そこには芸術という概念の見直し、組み換え、転換などを想定してのムーブメントでした。パンを焼き、コメを作り、野菜を育てる。食の問題は、反グローバル、地産地消、固有の文化保存など、そういう風潮が芽生えていることに着目して、アートの枠組みでとらえてきたところです。フォトハウス表現研究所では、フォトハウス表現塾の名前の塾的学びの場を創出しようと考えています。
(続く)


posted by nakagawa at 09:39| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする